どうも、らいくです。
本日もお読み頂き、ありがとうございます。
「短期的な成功の道は、長期的な失敗へのルート」
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つい先日読者の方からメッセージを頂きました。
内容を思いきり簡略するとこのような質問でした。
>僕が仮にらいくさんの立場だったら、
遊びほうけて、好き放題生きて、
使いたいだけお金を使い倒して、
時間を気にせずやりたいことをやると思います。
>それなのに今でも投資家として、
活動を続ける原動力のようなものはどこからくるのでしょうか?
私が本当の意味で「投資家になる」と決めて、
だいたい2年と5ヶ月くらいが経過しました。
その間、対面で人間と向き合って1:1で会い、
2000人程度の「人」を見てきたという話は、
どこかの音声で少しお伝えしたかもしれません。
そのときに感じたことは..
「本物の投資家は10人もいない」というのが現実でした。
私が考える一流の投資家の定義は、
・資産は最低10億を超える
・人間的にリスペクトができる
・発言にオーラがある
・絶望を最低一度は経験している
・後進を育てようとする意識がある
・投資家を教育する何らかの活動をしている
・男なら単純に格好いい、女子なら本気で抱きたいと感じる
当然私自身で考えたときに、
唯一当てはまるのは「絶望を最低一度は経験している」
このぐらいしか今はありません。
冒頭で頂いたメッセージの、
>僕なら遊びほうけて、好き放題生きて、
使いたいだけお金を使って、
時間を気にせずやりたいことをやる。
.
という部分は、今よりもはるか若いときに、
すべて経験してきたから「もう飽きた」というのが本音です。
2ヶ月仕事を一切せずにハワイに行って、
廃人寸前でそこから一切何もせずに暮らしたこともあれば、
女性を金で買って、左右上下にはべらせて
〇交パーティーのようなこともし、
いわゆる夜のロマンチックをひたすら楽しんだこともありました。
時間を気にせず昼まで爆睡して、
読みたい本を読んで、聞きたい音楽を流し、
飲みたいカクテルを作り、横には小さな子供と遊びながら、
お金を気にせず好きな場所で仕事をして、
仕事をやめたくなったら、またギターを弾く。
そういう生活をしていたときもあったのです。
しかし私の場合「自分が何も生み出していない生活」
というのがどうにも性に合わないことに気づいたのです。
投資家として本当に命の弾であるお金を投下して、
死ぬか生きるかの投資を続けてきたのがこの2年間でした。
しかしそこから生み出されたものは、
やはり「お金だけ」に近しいというのが一つの結論でした。
仲間だと思っていた人間には罵倒され、裏切られ、
信頼していた投資のパートナーには大金を奪われ、
そこは一般社会と同じか、もしくはそれ以上に、
混沌としていた人間模様が描かれていたのです。
そのときに私は、思いました。
「自分の”今”の想いを紡がないとダメだ」と。
私は投資というのはビジネスとある意味では同じで、
異なる能力を育てないといけないと考える人間です。
それはたとえば、投資をするための時間管理であったり、
お金の正しい使い方であったり、
投資をするということを「理解させるための」
パートナーシップであったり..
サラリーマンとして働いているなら、
その場所で本当に輝くための「仕事の在り方」であったり..
そういうものはすべて「マインドセット」から成り立ちます。
はっきり言って需要はないし、セールスの観点から言えば、
間違いなく売れないサービス群だと思います。
あまりにも必要性がなくて、
いつか作るのを諦めるときがくるかもしれない。
ですが「投資家」として生きると決めたときから、
私は自分の富や金銭を増やすだけのマネーゲームを、
そろそろ卒業する段階にきたのかもしれないと考えるようになりました。
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これも音声で少しお話をしたのですが、
私は「終身医療」という現場で割と長く働いていました。
医療資格を持たない人間がこういった場所で働くのは、
おそらく業界的なモラルとルールにのっとるなら、
まず「NG」を叩かれるようなシビアな場所です。
私がここで働くようになったのは、
当時婚約をしていた彼女が難病にかかったからです。
彼女は誰よりも明るく、
何よりも周りに幸せをふりまける人間で、
いつでもどこでも笑顔が似合う女性でした。
ですがそんな彼女も「死」という現実がせまってきたとき、
私に向かって怒り、嘆き、一生分の悲しみをぶつけてきました。
生きたい、もっと生きたいと叫ぶ彼女を見て、
当時の俺はいったい何をしていたんだろうと今でも考えます。
あの瞬間から今を考えると、もう長年という言葉よりも、
世紀が流れたというぐらいの時間が経過したような気がします。
最期の最期まで彼女は「生きた証」というものを残し、
今でも数々の伝説や逸話が、あの院内で囁かれています。
翻って俺は、何かを残せたんだろうか?
確かに「お金」という紙切れは人並みに稼いだかもしれない。
けど本当にそれが目的だったのか?
それを考えると、やはりどこかで空しくなるのです。
まだ彼女の症状の進行が弱いときに、喧嘩をしました。
それは「籍を入れるか、入れないか」という問題です。
私は長くないであろう彼女と結婚をするつもりでした。
1ヶ月でも、一週間でも、1日であってもいいから、
籍を入れてくれと懇願しました。
しかしいくら私が想いを伝えても、
どれだけ説得をしても、彼女はそれに答えはくれませんでした。
「それは絶対ダメ、いつか君がまた
結婚をしたいと思える女性の一番にしてあげて」
当時の俺にはさっぱり理解ができませんでしたが、
今ではなんとなく、その意味がわかるような気がします。
私は何度も反論しました。
「俺はこの先一生結婚なんかしないからお願いだ」
「そもそもお前は俺の気持ちをわかっているのか?」
「ふざけるなよ、なんで俺じゃなくてお前が逝かないといけないんだ」
運命というものは残酷でした。
後にも先にも、私が異性と口げんかをして、
まったく勝てなかったのはコイツだけでした。
投資家を志すと決めたとき、頭に浮かんだのは、
コイツの笑顔でした。
今は言葉を聞くことは叶いませんが、
きっともしもまだこの世に存在していたなら、
私に向かってこう言ったでしょう。
「君がやりたい道を、生きたらいいよ」
それでも私は迷いに迷いました。
(やっぱり投資だけで生活するのはリスクが高いんじゃないか?)
(そもそも本当にこれが俺のやりたかったことなのか?)
(何も生み出していない生活を続けて、本当にそれが楽しいのか?)
当時自分のすべてを費やしていたと言ってもいい、
FXの相場の世界を離れる決断をしたのもこのときでした。
確かにFXの情報発信を続けていれば、
楽に稼げますし、稼ぎたいという人を、
ある程度の位置までは救うこともできるでしょう。
でも、どうしてもそれを続けることができませんでした。
私は「投資」だけの情報をあなたにお伝えするのではなく、
人生全般で「進化できる」一生役立つようなことを、
あなたに提供したいという気持ちが強くなってきたからです。
アイツの「物語」がいつまでも語り継がれるように、
私は自分の生きた証を、まず自分の子供に託したい。
息子ははっきり言って、俺の息子とは思えないぐらい、
どんくさいし、会社員としては絶対に出世しないだろうし、
起業家になんかは間違いなくなれないし..
投資が向いてるとも思えないぐらい、
謎の遺伝子をどこからか拾ってきました。
それでも息子に、俺の証を何かひとかけらでも、
俺を残して逝った「ひかり」のように伝えていければと思っています。
そして単に、自分の近くにいる身内だけではなく、
俺にたどりついた、あなたにも投資家という生き様を通して、
あなたの日常にスパイスとなるような、
辛いとき、悲しいとき、苦しいときの起爆剤になるような..
言葉や音を残したいというのが、まぎれもない本音です。
とはいえ「投資家のマインドセット」だけでは、
現実問題として、速攻でお金を増やすことはできません。
だからこそ位置としては、投資家という道を通じて、
しっかりとあなたにお金が残るような何かを残していきたい。
そして紹介できる投資案件があるなら、
それをあなたにしっかりとお伝えしたい。
別に極論、投資をあなたが一切しなかったとしても、
仕事のやり方や振る舞いが変わって、
年収が上がったり、ヘッドハンティングされたり、
新しい理想のパートナーができたりすることは普通にあります。
投資家は「自分で自分の人生をコントロールできる」
一匹狼がたどり着く最後の聖戦のようなものだと思っています。
単にお金という不換紙幣を増やすだけの、
無機質なゲームと言ってしまえばそれまでです。
しかしそのお金を使って、
自分を幸せにすることはもちろんのこと、
あなたと縁あった人を笑わせたり、
喜ばせたり、笑顔にさせてあげることは可能です。
ですからあなたはもっと稼いでいいんです。
もっと貪欲に収益をあげると叫んでいいんです。
絶対に投資で成功してやると、野心を持っていいんです。
自由に生きて、好きなことを徹底的にやると宣言していいんです。
いくら好きな仕事をあなたがしていたとしても、
経済的に潤いがなければやはり、毎日はつまらないです。
かといって少し前の私のように、
お金だけを稼いで何も残らない人生というのも、
あなたが想像している以上に味気ないです。
それはひとえに
「魂がうるおっていない状態」と私は呼んでいます。
だからこそ、今しか書けない何かを通して、
あなたの心のどこか一部に届けば嬉しく思います。
結局のところ最後に通用するのは、
「自分が信じて、やりきった時間とスキルだけですから」
後悔しない人生を、共に歩みましょう。
・
らいくの戯言:編集後記
――曇りなく逝ける瞬間――
最近感じるのは「やりたいことができる人生」って、
本当に尊いもので、もっと感謝しなければいけないと、
僭越ながら思うようになりました。
当時の婚約者は、どれだけやりたいことがあっても、
「今はもうできない」というのが悲しい事実です。
アイツは最期の最期まで、
悔いなく生きた代表格みたいな奴でしたが、
我々の最期を考えたときに..
「少しの曇りもなく逝けるか」ということを、
冷静に考えたときに、やはり難しいというのが
正直なところのはずです。
私が自分の想いを発信できるようになったのも、
投資という世界である程度の結果を残せたからです。
これがずっと昔の貧乏時代であれば、
どうしたって日銭を稼ぎたいという気持ちが強く、
人からお金を奪うようなことしか考えられなかったからです。
やりたいことをやるのって、
お金をかけなくても、一定のラインまでは可能です。
しかし制限なく自分の好きなことをやるには、
相応のお金を稼げなくてはいけないというのも、
またこの世の不条理な部分です。
ですから私は「稼げる人間を増やしたい」というのと同時に、
強い人間を増やしていきたいというのが願いです。
9割以上の人間が先にお金という紙切れに踊らされます。
でもね、本当に強いマインドセットがあれば、
お金は絶対に後からついてきます。
それが仕事であれ、自分で行うビジネスであれ、
投資のフィールドであっても間違いありません。
私が一定の成功を掴むまでに
あまりにも時間がかかっています。
それは単に「マインドセット」を甘く見ていたから。
とにかく稼げればなんでもいいと思っていたから、
何もかもを浅く考え、すべてを短期的に考えていました。
私はあなたには、そういった悲しい道を歩んでほしくないので、
長期的に成功する道、引き戻してあげられるようなことを、
強く、本気で、伝え続けていきます。