※ 5/14-19まで長期出張のため
音声の投稿はお休みします。
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僕たちはもっと、自分の思考を
言葉にして、文章にして残すべきだと思う。
だってそうしなければ、
今日の君の思考の断片というものは、
一週間後にはもう覚えていないんだから。
さあ、手を動かそうよ。
今日は少し「文章」について触れていこうと思います。
どうして書くのか? と問われれば、
表面上の気持ちとしては、やはり言葉を通して、
あなた自身が成長のきっかけになってほしい。
という気持ちはやはりあります。
私自身が言葉によって救われて、
絶望の貧乏時代に、さまざまな文章によって、
心を落ち着かせることができて、自分を保つことができました。
――私は行くべき場所に行くことによって、学ぶ。
という格言があるように、
これを私なりに言い換えるのであれば、
「私は書くべき意志を持って、書く」
ということになるのかもしれない。
とりわけセールスの世界で生きていたときも、
売上UPを支えてくれたのは言葉の力でした。
もちろん対面でのプレゼンテーションは、
言葉によってもたらされますが、
その場で契約になることは10%もありません。
残りの90%を上げていくためには、
お客様と別れた後のアフターフォローにかかっているからです。
もちろんそこには「ただ書く」という
言葉にしてしまえば陳腐な表現になります。
もしあなたが今、何らかの悩みを抱えているのであれば、
「ただ今の気持ちを、文章に書きなぐってみてほしい」
と、私ならアドバイスをします。
別にパソコンのキーボードで、
殴り書きで支離滅裂だって構いません。
こっそりとノートを買ってきて、
今のドス黒い気持ちの丈をぶつけても誰も怒りません。
言葉を残すというのはある意味では、
純粋な喜びだと私は考えていますので、
これを知らずして、この先、
生きていくというのはあまりにももったいない。
でもなぜ、我々はときおり書きたいという衝動に駆られるのか?
それはひとえに「書く」ということは、
人間の本性を暴くものであるからです。
書くことによって、私たちは
自分の世界を取り戻します。
もっと言うならば、世界に直接触れて、
自分のものに近づけることができるからです。
そして自分でも知らなかった世界が見えてきたり、
より深く自分のことを知るきっかけになるのです。
加えて言うならば、今のあなたが仮に、
まるで情熱がなく生きる屍のように、
くたびれた目をしながら、満員電車に乗って
働いているのだとしたら、なおさら書いてみてほしい。
失った情熱を取り戻すために、文章を書くのです。
文章を残すという行為は、時に自分の心の奥底に、
ダイブしなければいけないときもありますから、
それはたちまち官能的なものにも変化します。
そして地に足をつけることもできますから、
魂そのものに栄養を与えることが言葉によって可能なのです。
今日たとえばあなたが何ひとつとして、
文章を書かなかったとしたら、
明日のあなたは、昨日の出来事を徐々に忘れていきます。
しかしたとえば、日記のような形でもいいので、
1ページ、いえ数行でもなんらかの「しるし」を
言葉に残しておけば、何年かたったあとの、
みずみずしい情景として、あなたの傍に寄り添います。
行動が今一つできない人は多いはず。
えいやと新しい習慣を作りたいと思っているとき、
何か新しいことを始めようとするとき..
その一歩が踏み出せない人も多いでしょう。
そんなときは「私はこれをやりたいんだ」と、
高らかに宣言する文章を書いてみるのです。
そこまで意欲的になれないのであれば、
「僕は心のどこかでは、あれをずっとやってみたかったんだ」
と、自分の気持ちを再確認するのでもいいのです。
「書く」というとまるで一流の作家が、
ベストセラーを生み出すかのような名文を
書かなければいけないと思っている方は多いです。
しかしあなたが紡いだ言葉のカケラは、
別に誰にも見せる必要はないのです。
あくまでもあなたを支えてくれるツールの一つであり、
あなたをサポートしてくれるのが言葉の力なのです。
もちろん誰かの言葉によって、
あなたを導いてくれたり、
救ってくれることもあるでしょう。
ですが「あなたの言葉で書かれたもの」に、
熱と魂が宿るのです。
子供というのは新しい言語を覚えると、
何度も何度もそれを口に出して、
いとおしい宝石のように大切にします。
そして少しずつ新しい言葉の宝石を身につけて、
一人ひっそりと喜びの感情に浸るのです。
パパと遊園地に行くんだ、
子供の言葉はどこかから借りてきたものではなく、
そこにはパワーと興味にあふれています。
そして熱意があり、情熱がそこにはあります。
子供はみんな、言葉の力を無意識に信じているのです。
しかし我々大人は、言葉に対しての力を
ある日突然、すべてを忘れたかのように見失います。
私には書くことがない、僕には何も書ける材料がない
文章の世界になんて、縁なんかないんだと思い込んでしまうのです。