どうも、らいくです。

投資家として生きていくと決めたのも、

起業家として会社員をやめた「選択」も..

今となっては本当にそれをしてよかったと思えるようになりました。

「あなたは自分の人生、自分で選べていますか?」

*

3畳の部屋で成功を誓ったあの夜

「ネクタイをして、スーツを着て、
満員電車に乗る生活はもううんざりだ..」

こう思ったとき、私は3畳のせまい部屋で、
思いきり叫んで、いつかは自分の力で稼げるようになる..

と、決意を秘めたことを覚えています。

今にも崩れ落ちそうなきしむ階段、

今にも止まりそうな小さな電球、

座る椅子が買えなくて、
ボロボロのダンボールを補強して作った即席の座る場所。

起動するだけで13分かかる、
旧式すぎるオンボロのパソコン。

ゴミ捨て場から拾ってきたキーボード。

食べかけのカップラーメンの容器に、
使い捨てのフォーク..

思えばここから「自由」を私は求めていたのだと思います。

借金があって、まともに三食も食えないような時代に、
お金持ちになるという憧れと期待を夢見て、
そういえば起業をしたんだよなと思い出しました。

起業と投資家、どちらが楽かを考えたときに、
すぐに答えを出すのは少しばかり難しいです。

でも仮にもし、私がサラリーマンだったとしても、
いずれ必ず「どちらもやる」と道を選択していたと思います。

とにかく私は、社会から馴染める人間ではありませんでした。

人から指示されることが大嫌いなのに、
サラリーマンをかなり長い間していたという事実を
自分で褒めてあげたいぐらいに、社会不適合だと感じています。

起業したけど貧乏だった毎日

かといって当時は、お金もなければスキルもない。

いったい何をしてお金を生みだせばいいのか、
途方に暮れていました。

起業当初はとにかく「サイト」を作り続けていました。

勤務先でも、休憩時間でも、営業中でも、
頭の中はサイトのネタ探しでいっぱいでした。

一日に最低でも5つのサイトは立ち上げました。

何度も何度も腱鞘炎になって、
もうこれ以上手を酷使すると
一生手が使えなくなるよと脅されました。

(最終的に悪化して、
4ヶ月間は一切PCを触ることができなくなりました)

そのぐらいにパソコンのキーをタイピングして、
どうにかして、お金を作りたかったのです。

あのときに書いた文章もサイトも、
今では影も形も残っていません。

笑えるぐらいに下手だったし、
1記事書くのに軽く5~7時間かけていました。

ですがあのときの「がむしゃらになった経験」は、
確かに今の私に影響を及ぼしているのは事実です。

自分が初めてお金を生みだすことができたのは、
131サイトめの「耳かきエステ」というサイトの
体験談記事を作ったことで生まれました。

グーグルから載せる広告を貼り付けて、
始めて月の報酬が1万円を超えたとき..

「これで独立できる!!」

と、天まで吠えたことは今でも覚えています。

実際に自分の通帳にお金が振り込まれたときは、
あまりにも嬉しくてヒザから崩れ落ちました。

自分で稼ぐと決めて、

自分でサイトを立ち上げると決心して、

自分の力でお金を生みだした瞬間は..

本当に嬉しかったことを、昨日のように思い出せます。

*

あの日あの時の小さな選択が未来を創る

投資家になっても「選択する」ということは、

日々連続して私たちを襲ってきます。

・損を確定するのも

・利益を確定するのも

・案件から引き上げるのも

・増資をするのも

・新しい案件をやるのも

すべては、あなた自身が決めることだからです。

損失を確定するときは、
心を針でさされるほどの痛みを感じます。

利益を得た瞬間は、これですべてから解放されるという
喜びとたくさんの期待と、嬉しさが混じり合います。

「投資の撤退」を考えるときも、

この判断が正しかったのかどうかに迷います。

自分の資金を追加するのは、もっと迷います。

このまま安全に、少しの利益を日々得た方がいい、
まずは元本を回収してから、手堅く投資をすればいいんだ..

欲と安全との戦いが、毎日繰り広げられているのです。

今日食べるメニューを、AランチからBランチに替えても、
人生に大きな変化というものは起こりません。

しかし普段なら絶対に入らないような、
お店にふと入って、そこで目に入った
雑誌の一言が、あなたのこれからを変えるかもしれない。

もっと言えば、今日から始めて筋トレを始めて、
腕立て伏せを30回やってみる。

こういう小さなことでも、数年後のあなたは変わります。

懸垂が一回もできないひ弱な大人の男

私も最初、公園の鉄棒で懸垂をしようとしたとき、
一回もできずに、悔しくて地面を蹴りました。

ひ弱な自分の腕の筋肉を恨んだものです。

それからは毎日、鉄棒にぶらさがることを始めました。

最初は30秒、次に45秒、そして1分と..

少しずつ地道に時間を増やしていきました。

公園に遊びにきている子供たちからは、
ゲラゲラと笑われました。

それでも私は必死に続けました。

そうして鉄棒にぶらさがることが、
5分を経過するようになってから..

人生で初めて、懸垂が1回できるようになりました。

今では25回前後を3セット程度なら無理なくできます。

というより、自宅に懸垂バーがあるぐらいになりました。

もしもあのときに「懸垂をやろう」と決めていなければ、
おそらく今の私は走ることもしていなかったでしょう。

もちろんジムに行くなんて、あり得なかったかもしれません。

投資でイライラしたとき、大きく負けたときに、
ストレスが発散できなくて、どうにかなっていたかもしれません。

迷っているなら、いっそ飛び込んじゃえ

人生には「大きな決断と小さな選択」があります。

もちろんどちらも大事なイベントであり、
節目と呼ばれるときには、必ず起こる出来事です。

たとえば就職活動、たとえば結婚をする瞬間、
たとえば子供が生まれた瞬間や、
始めて投資をスタートするときなんかもそうです。

こういうのは「大きな決断」に分類されます。

私が公園で鉄棒に30秒ぶら下がることを始めたのは、
「小さな選択」に位置されます。

あなたもきっと、こういう小さな選択を、
やろうかやるまいか迷うときがあります。

私が初めにピアノをやろうかと思ったときは、

「●●というピアノ教室に、体験の電話をかける」ことでした。

しかしながら電話をかける勇気がなく、
ピアノはやりたい、けど今ではないよな..

と選択を先送りにしていました。

そんなときに先輩が私に言ったのです。

「俺はギターを新しくゼロから始めるから、
らいくもピアノをゼロからやろうぜ」

「んでいつか、おっさんバンドを作って演奏しようや」

今から始めたって遅いですよ、と口では言ったものの、
私の未来予想図の中には、

先輩がかっこいいリフを奏でて、
いかついギターを斜めに構えてドヤ顔で演奏している姿と、

少し照れながらピアノの音色を奏でる未来が、
恥ずかしくも浮かんだのです。

結局私は、勇気を全開に100%振り絞って、
ピアノの教室に電話をかけました。

たったそれだけのことですが、
おそらく私を支える最高の趣味になることは
疑いようのない事実になりました。

あなたももしかすると、見ようとしていないだけで、
後の「大きな決断に繋がる小さな選択」は、
日常のどこかに、ひっそりと隠れているかもしれませんよ?

何気なく選んだ道が、後の大きな夢に繋がっているというのは、
今の現状ではわからないことかもしれません。

でも、ちょっとした「小さな選択」を、
笑いながらいつもとは違った道を選べるようになると、
毎日が多忙で、ともすれば何も考えたくなくなるときに..

あなたの人生の道のりには見えていなかった景色を、
絶景という名に変えてくれる可能性があります。

「毎日の小さな選択を、未来の夢に投げてみるのも楽しいですよ」

 

らいくの戯言:編集後記

――予定のミスは繊細な手から――

 

つい先日取引先のお客様と会食と
打ち合わせの予定だったのですが、
指定されたお店に行ってみると、誰もいない。

 

仕方なく一人で竹鶴の17年をストレートで煽る。

一匙のスパイスと微かなスモークがたまらねぇ。

 

30分過ぎてもこないので、
電話をしてみてびっくり仰天。

「え、会食の予定は明日の19時ですよ?」

ガーン。

まさかの日程を間違えるというお茶目っぷり。

結局その日は一人で酒を飲み、

一人で夜景を見て、一人遊びを満喫しました。

予定って手帳に記入していても、
その日付そのものを間違えてたら意味ないよね..

次からは行く前に必ず確認を入れようと思いました。

たまたま近くに座っていた男性が、
何やらトランプを器用に動かしていたので、
つい声をかけてしまいました。

すると..

「マジックバーで働いているんです」と。

すごく繊細に動くその手に、
男の私も思わずウットリ見とれていました。

さぞかし夜のフィンガーテクも凄いんだろうなと、
ニタニタ謎の妄想も繰り広げていました。

私は手品とかはさっぱりできない人間なので、
マジックが趣味とかだったら、
格好いいだろうなと、彼のきれいな手を見て感じました。

俺も高速で指を動かす練習しよ。

人差し指と中指。