きついときに自分を支えてくれるのって、
やっぱりいつも「音」だったんだ。

努力ってなんだろうと、考えるときがあります。

自分自身が本当に努力をしていたときって、
実は多いように見えて、案外そんなになかったりする。

私で言えば、ギターをやっていたときと、
おそらく起業初期の一番最初の翻訳ビジネス、
初めて投資を本格的にやろうと思ったFXトレード、

たぶんですが、それなりに長い人生を振り返ってみても、
たったの3つしかない。

だとしたら、まだ私自身のこれからの未来の人生も、
ここらの歴史と同レベル程度に
努力するときがくるのかもしれない。

そう考えてみると、なんだか無性にいい意味でドキドキする。

人生で努力したときって、いつだっただろうか?

あなたはどうでしょうか?

今は忘れかけてしまった学生時代の思い出でもいい、

今はもう記憶の片隅にある、
会社4年目にで初めて行ったプロジェクトの1つでもいい、

なんらかの難関な資格試験に挑戦していたときでもいい。

今は「努力の跡」というものを忘れてしまったとしても、
我々の遺伝子の中には、少なくたって1つぐらいは、
努力をしてきたという汗の数があるはず。

でも人間って、そのあなたが努力している姿を見ても、
切ない事にそこまで気にしなかったりします。

もちろんそれは「あなたを気にかけている人」なら別です。

それにもっと悲しい気持ちになるのは、
必死の思いで努力を続けていたとしても、
その努力に見合った成果が出ていないときは..

いわゆる「努力の空回り」として
周りにからは失笑される。

学生時代を思い出して頂けると、
ここはイメージがつきやすいと思うんですが、

「ねぇねぇ、テスト勉強したー?」

「いやー、全然してないわ、本当にやばいかも」

そういっている人間ほど、
影でめちゃくちゃ勉強して、
ほぼ全教科まんべんなくいい点をさらっていくという..

努力ってこれまでにしてきたと感じている人は、
今まで何度もその努力に裏切られていて、
もしかしたらあなたはうんざりしちゃっているかもしれない。

でも実際には、どんな分野であっても、
努力ゼロのレベルで成功できる人間は天才しかいません。

我々のような凡人は頭をひねって、脳に汗をかき続けて、
がむしゃらに頑張らなくてはいけないときが
必ずあるんです。

頑張っているときって、体も心も疲れやすいです。

特に肉体は本当に正直ですから、
努力のピークを迎えているときって、
だいたいどこかの体に変調が出てきます。

私であれば手と肩にきやすいというのもあって、
こういう「体のサイン」は素直に聞くことにしています。

そういうときは、口笛を吹く。

空の余裕でいいんです、辛いときほど笑う。

私、努力しています的な、
必死で苦痛な表情を見せちゃうのは、なんかださい。

私がギターの師匠について、
全国のツアーをしていたときも、
師匠はよくこう言っていました。

 

――練習しているとき、リハーサルのときは、
絶対に何があっても苦しそうな顔をするな。

――どんなに疲れていても、どんなに指が痛くても、
眠すぎて頭が回らないときでも、
お前の顔に出す必要なんか一切ないんだ。

――疲れているなら、心の内側だけで疲れていろ。
常にポーカーフェイスで口笛を吹いてやれ。

 

私が最後まで、師匠のことをリスペクトできた理由の一つに、
もちろん存在のすべてが格好よかったというのはあるんですが、

言葉によって、救われてきた事実がある

この本心から溢れ出す「言葉」に救われてきたよなと、
今になってみて本当にそう感じます。

何らかの決断をするときって、
だいたいが「周りに反対」されます。

私で言えばギターで飯を食うと決心したとき、

手取り35万円程度の会社をやめて、
起業をすると夢見ていたあのとき、

投資だけで飯を食うと息巻いていたあのころ..

どれもすべて、周りには盛大に反対されました。

特に私に近い位置にいた人間ほど、
思いっきりこっぴどく批判もされたし、
反対もされて、否定もされ続けました。

ギターの道だけは、成功と言う成功は掴めませんでしたが、
起業と投資の道であれば、一定の収益を得られるまでは、
少なくとも成長できたのではないかなと思っています。

でもそれは、苦しいときも悲しいときも、
理不尽な怒りを感じたときも..

心の中ではいつだって、口笛を吹いていました。

辛いときは涙を流しながら、
気持ちの悪い顔をして、一人で泣いていました。

世の中の構成をしている人間の多くは、
「思想」というものをまるで持っていません。

投資であっても、仕事であっても、
考えるという一番重要な行為を、
他人やシステムに委ねてしまうのです。

そういう人たちが圧倒的に多いものだから、
サラリーマン社会というものが成り立っているのです。

10人のうち9人が味噌ラーメンを頼んでも、
あなたがカレーを本気で食べたいなら、
一人だけ「カレーを食います」と宣言すればいい。

思想をミニマムに考えてみるならば、
そんな細かいことだって、私は全然いいと思います。

重要なのは「流されないこと」だから。

大切なのは「自分の意志を通す」ことだから。